本牧三渓園
普通歴史を秘める日本庭園といえば、泉水回遊式庭園を思いますが、本牧三渓園はこれとは対照的に、スケールの大きい自然園ともいえます。
十七万平方メートルという広大な敷地は山や谷、池水など、起伏の多い地形もそのままに、数々の由緒ある建造物が移築されています。
三渓園は明治初期に、横浜生糸貿易の筆頭にあげられた原善三郎の二代目、富太郎の本邸があったところで、現在は三渓園保勝会が管理に当っています。
明治のころ、このあたりは東京湾に面して三つの渓(たに)にまたがる景勝の地でした。
歌人でもあった富太郎が、雅号を「三渓」としたのもこの地形によるものでした。